七梨乃手記

……あなたは手記に食い込んだ男の指を一本一本引き剥がすと、頼りない灯りの下それを開いた。@N4yuta

(ネタバレなし)『THE GUILTY/ギルティ』 閉じた私刑社会の果て

「不信に基づく正義」と「断片的な真実」の最悪のマリアージュ

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昨日TwitterでバズっていたTHE GUILTYを、タイミングよく翌日が休暇だったのを良いことにヒューマントラスト渋谷で早速観てきた。

 上映時間88分とややコンパクトなデンマーク産の"フォーン・ブース"的サスペンスで、主人公は警察官で所謂110番のオペレーター、そして舞台は質素で小さなコールセンターのオフィスで、ストーリーは全て電話による通話を通して進行する。BGMはなく、映像による示唆もなく、徹底して恣意的な誘導を削ぎ落したミニマルな画づくりの中で、最初に観客を驚かせるのは、電話の先から聞こえてくる情報だけで想像できる範囲がどれだけ狭く、また現実とかけ離れているかという気付きだ。

 自分は過去にコールセンターで働いていたことがあったので、映画を観ながら通話によるコミュニケーションの限界と危うさを思い出していた。…第一に、自分の目に見えるものを正確に言葉で伝えられる人は少ない。第二に、都合の悪いことを肉声で他人に伝えることは、それが後ろめたいものである分だけ心理的なハードルが高くなる。第三に、「相手には同じものが見えていない」という事実を客観的に認識するためには、結構気力を使う。結果としてオペレーターにかかってくる電話の内容は常に意図的な嘘と、事実の切り抜きと、情報として意味のないただの主観と、ヒステリックな要求に塗れていて、オペレーターは限られた時間の中で情報を整理し、相手の心理状態を誘導し、他の外部情報と照合するなどして「おそらく電話の向こうの現実はこうだろう」という仮説を立て、それをもとに次の案内のプランを決断しなければならない。

通話オペレーターの仕事は、かなりの想像力を必要とするし、精神的な負担が大きく、健全な精神状態でないと しばしば"全く違う世界"を観る羽目になる。

果たして、主人公はベテランのオペレーターではなく、警察ではあるが何かの問題で「割と最近」転属してきた男であり、警察官らしい「熱血的な正義漢」だったのだが、これがこの緊急ダイヤルの電話番としては正に最悪な人選で、この後に訪れるだろう地雷の大きさに内心頭を抱えた。

…そしてそれは現実になった。

 

 人は1対1の通話中に5秒以上の沈黙を聴くと不安になるという。

人の意識は通話という状況を概ね虚無の世界と認識していて、「暗闇の中の唯一の光」であるお互いの言葉を信頼するしかないという強い心理的な作用が働いている。その為に、間違った案内、あるいは恣意的に歪めた案内によって相手の行動を操ることもできてしまう。こうした電話によるディスコミュニケーションの仕組みとストーリーがかみ合ったとき、観客は自分が観ていた現実、あるいは観たいと「思っていた」現実がすべて嘘だったと気付き、足元が崩れ落ちるような最悪のショックを味わうことになる。その強度はまさに天変地異が起きた時のそれで、目に見える事務所の平凡な風景とのギャップが更に、今この世界のどこかで起きている深刻な間違いの恐ろしさをハイライトする。

 

この映画はある"誘拐事件"を追うオペレーターの物語だが、本質的には社会に対する不信への裏返しとしての"正義"を掲げる人々が奏でるそれぞれの"真実"を、何よりも絶対的な正義を信奉する主人公が指揮者となって、"存在しない事実"のオーケストラを構成していく、現代でよく見られるようになった私刑のエスカレーションを描く恐ろしい映画だった。主人公はハーメルンの笛吹き男のように、観客をどこにもない場所に誘導する。その果てで彼らが出会うのは、悪意で継ぎ接ぎされた嘘と錯誤の塊が生み出した最悪の"終末"なのだ。

 

人にはそれぞれの正義感があり、正義観がある。しかしそれが社会や法や他者に対する不信と結び付いた時、それは人の解釈の力を歪める強力で獰猛な衝動を生み出してしまう。方向感覚を失っているにも拘らず、前に進むという意識だけが残った時、たどり着く場所は方角が間違っているどころか、次元すら違ったものになってしまう。この映画で取り上げられているすべての設定と事象と仕組みは現実にあるものだという点に注目してほしい。不信と孤立は、こんな風に嘘を現実にできるだけの強力で危険な勢いを生む。だからこそ他者との協調や、情報をオープンにすること、そして時に身を挺して貢献する(sacrifice)という意識を忘れてはならないのだと思い知らされた。

 

 映画のタイトルは"(宣告された)罪"だが、主題はその先にある「confession」だ。我々はこんなにも簡単に過ちをしでかしてしまう生き物でありながら、断片的な事実に溢れた時代を生きている。それを認め、認め合うことはできるのか?それはわからない。だが認めなければどうなるかは、この映画を観れば味わえる。現代に思うところが少しでもあるなら、ネタバレが出回ったりリメイクされる前に是非観に行ってほしい。

この映画は『ダンケルク』のように精確かつ繊細な音の使い方で最高の効果を出しているので、劇場で観るかホームシアター並みの設備を用意して観た方が良いと思う。とにかくトリックのない、主題に対して誠実で、だからこそどこまでもヒリつく、サスペンスのスリルを存分に味わえる作品だった。