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七梨乃手記

……あなたは手記に食い込んだ男の指を一本一本引き剥がすと、頼りない灯りの下それを開いた。@N4yuta

2016/01/10  コンサート『ヴィーナス&エコーズ』

喪に服すとは、時を知るということ。

venus-and-echoes.net

 

 去る1月9日に三鷹市公会堂 光のホールにて開催された有志企画のコンサート『Venus & Echoes』に行ってきた。

 年明け早々に記事に書いたとおり、『ヴィーナス&ブレイブス』というRPGは犠牲を受け入れる物語であり、死を抱き締める物語であり、愛を守り抜く物語だった。

 コアなファンたちが様々な形で語り継いできた流れが、本作品の元監督にして、現在はアーティストとして活躍されている川口忠彦さん(HESOMOGE)の現在の活動をきっかけに収斂し、その熱量が今回のイベントの結実に繋がり、かつては打ち込みだった音楽が、プロの手によって――コンサートマスター河合晃太さんもまた、この作品に魅了された一人だ――一音一音魂を込めて奏でられた。

 少し不思議なのは、このゲームは基本的にランダムに生成された無名のキャラクタたちがプレイヤーにとってのメインのリソースなので、プレイヤー間で大筋のストーリーは共有されていても、「100年間」の細部、その流れ方についてはプレイヤーごとにまったくその内容が違うので、演奏を聴く人々の頭の中にはそれぞれ異なる「過去」がフラッシュバックされていたということ。それぞれがそれぞれの並行世界を持っていて、同じファンでも共有している要素自体は、実はそう多くない。アリア・ブラッドを始めとした“英雄”たちを語ることはできるが、それと同じぐらいの思い入れがそれぞれのもとに訪れた無名のキャラクタたちに対してもあるので、心のうちに抱えた愛に、一つとして同じものはない。

 

 しかし、『ヴィーナス』に関しては今も昔も変わらないことがある。

 私たちは時の流れに涙を流すのだ。

 

 いつか終わってしまう楽しい時間に。無駄に終わった熱意に。省みられない無念に。あまりにも長く続く苦しみに。実体のないぬくもりに。圧倒的な忘却の波がもたらしたものに。

 時は止まるということを知らない。「その時」までに望みが果たされたかどうかとはまったく関係なく、どんどんと次へ進んでいく。「現在」という点から離れれば離れるほどに質量の大きな「忘却の波」に晒されることになり、人は生き続けなければならないためにどこかでその水圧に屈しなければならず、そうして手放されたことは闇の濁流の中で徹底的に漂白されて、いつかなにものでもない、本当のゼロになるだろう。希望はない。絶望もない。それはあることにとっては救いであり、あることにとっては処刑である。

 私たちが私たち自身の命以外のものにできることは、「それがそこにあったことを語ること」ただそれだけで、究極的にいえば、時の流れの中で生きる私たちがすることは「惜しむこと」以外にはない。それを知るからこそ私たちは涙を流し、これ以上奪われることのないように、新たなものをつくり、伝え、残していこうとするのだ。

 

 当たり前だけど、プロの演奏家たちによるオーケストラで再現された音楽は、当時打ち込みで聴いたそれとは解像度がまるで違う。“当事者”が関わっていることも相まって、長い間守られてきた世界観が確かに脈動するのを感じられるほどだったし、十数年という長い月日のなかで失われたものに対する想い以上に、今ここに集っている人たちに対する興味の方が強く湧き上がる。

 

 これを成した人、これを目の当たりにした人は、次に何を創るのか?

 

 この企画を立ち上げた有志の面々のモチベーションの一つには、川口さんがこれまでに開催してきた個展があっただろう。『ヴィーナス』やその他の様々な活動の中で見出したものを個人として突き詰める道を進む「アーティスト・川口忠彦」の精神。青い鳥タロットを始めとした彼の最近の仕事を振り返って改めて思うに、「理想の受肉」ということに頑ななまでに心を砕く古きよき職人的な姿勢と、傑出した美は魂を救うのだという、ある種の絶対的な信仰心のようなものが、フォロワーを集め、モチベートしていくエネルギーを生んでいる。美しき理想をただ愛でるのではなく、それを肉体の動作に還元し、運命に作用させるというプロセスが、鑑賞者の眠っていた望みを呼び起こすのだ。

 はっきり言って、そこまでメジャーにならなかったゲームタイトルのためにプロのコンサート企画を組むのは並大抵の難度ではない。それは一つのプロジェクトであって、関わる人間一人ひとりにプロとしての実務遂行能力が求められる。各人が価値を生むためにやれることを十二分にやらなければ形を保てないということだ。それがこのように無事完了できたこと、それ自体が、この作品が確かに愛されたのだということの証明だし、この作品に流れる精神が求めるものだったと思う。

 

 記録とは、時の流れを自分のものにすることだ。

 それらが積み重なって一つの歴史に束ねられた時、それは「過去」を変え、「現在」を変え、「未来」を塗り替える。多くの可能性が解き放たれ、人生に希望を予感させる。時の流れは膨大だ。だからこそそれを利用できれば、変わるはずがないと思っていたことを変えることができ、起こることを考えもしなかったことを起こすことができる。

 だからこそ、語り継ぐことには意味があり、愛することには意味がある。

 だから今ここに記録しよう。涙あり笑いありの『ヴィーナス』の世界がしっかりと再現された素晴らしい演奏会があったということを、それは「過去」を冠した会だったにも関わらず、集った人の顔は皆前を向いていたということを。

 

 これに関わり、これを成した人すべての、今後の活躍に大きく期待して。