2015/12/31 緊急避難の終わり
夢を叶えるのと夢を見るのは同時にできないようで
今年は一番良い年でもあったし、一番拙い年でもあった。
年始から七転八倒しつつ取り組んできた転職活動が実を結び、理想としていた行き先の一つ、翻訳の世界に潜り込めたのはかなり大きい。そこから先、国境に縛られない人生へ進むに当たって、考えられる中で一番ベストな位置に入り込めたと思う。ここでこれからする努力がもたらす成果にはそれなり以上に期待が持てる。
そもそもほとんど独学&洋ゲーで身につけたスキルが職に繋がるということ自体が痛快だし、腰を据えてかかる気になる仕事をようやく得たことにも安心感がある。
これで長い緊急避難が完全に終わったのだと思う。
やむにやまれずで続けてきた間に合わせの仕事ともおさらばし、使い道もないままただ持ってきたものはそれなりに捨てたし、ヤケクソになる理由がなくなったのだ。今の自分には「基盤」があるし、そこから何をどうマネージしていくかという考え方に移っている。未だ安定からは程遠いが、少なくとも公私共にこなすべきことは日単位で観えているし、毎日調整していく余裕もある。
もっとも、長い転職活動にリソースの大半を割かれた後、新しい環境に合わせているうちにもう一年が終わってしまったという感じがあって、長期的には良くても、短期的にはほとんど中身のあることができなかったという気がする。
創作方面では、今年『僕に間に合え』を刊行できたのはとても大きかった。これはde-part.jpの白倉さんの進行があったればこそだったし、ほとんど息も絶え絶えにひねり出した(結構いいものができたと思う)。
それでも、美術やファンタジーや創作に対して今年は本当にリソースを割けなかったし、今後そうする気になるのかどうかも実際怪しい。それが一番拙いところだ。
もちろん今森美でやっている村上隆を逃す手はないし、来年からはどんどんまた観ていく予定だけど、そこからさらに奥に進む余裕はあるのか?
これまでは「緊急避難」で、魂の安息だけ考えていればよかった。今は「生活」があるから、こっちを形にするために踏ん張らなければならない。
「幸せな生活」がいかに脆くて得がたいものかを自分はよく知っているから。
ただ、それと思索を深めること、道を探求することは別のことで、そこをおざなりにしても人生は成り立たない。
どのような形で理想を実現すればいいのか?
自由を手に入れる手がかりは得た。でもその先の理想がないと、意味はない。
突き抜けるほど何かに執着できない自分、そうせざるを得なかった人生にも、悔しさが滲む。
雌伏のときは早く終えて、外に飛び出したい。
来年がそんな一年になりますように。