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七梨乃手記

……あなたは手記に食い込んだ男の指を一本一本引き剥がすと、頼りない灯りの下それを開いた。@N4yuta

2014/11/09 三色刷りの自然現象

何度目かのブログをまた始めた。

 リアル中学生時代にHTMLタグ打ち支援ソフトを使って手作りのテキストサイトを興してから、単に思い付きを書き留めるためだけに割と膨大な量の文章を書き付けてきた。

 mixiに移行してからはあのボタン一発で日記の入力画面にいけるレスポンスの良さ、書いてすぐ一定の人数に通知が行くっつー発信コストの低さに大変満足していたのだが、サンシャイン牧場が出てきたあたりでmixi自体が廃れ感を醸し出し、あと人間関係が諸々腐ってきて面倒になったのでTwitter*1に逃げてきて、以来書き留める場所難民としてのインターネット生活を長らく続けてきた。

 いやTwitter、とっても良いのよ。別にエントリ書き起こすまでもないことはむしろ140字以内に収めるべきだし、そもそも書かない方が良いこともあるってことが使ってると分かるし。でも何かを語ったりまとめたりするにはもちろん不適で。そこではてなダイアリーを利用し始めたんだけど、はてな記法に毎日細かく心を折られていって、日記ならば既存のブログのCSS弄らしてもらうぐらいがいいなあ……と考えてたら、はてなブログはサクッといけるやつだったのでこちらに住んでみることに決めた。

 

 長らく書きたいテーマなんてものが無かった(厳密にはそんな悠長なこと考えて生きていられる心の余裕も体力も無かった)んだけど、割と色々な種を貯めてこられた気がしているので、まずは随想を置いておけるところを差し当たりで作ってみた次第。

 実際2年前ぐらいからこれまでの人生から考えもつかないほど各所に脚を伸ばす機会が増えたので、色々書けることはあるんだよな。まあそこらへんはまた日を改めて。

鈴木千佳子さんドローイング展『メゾンブーケ』に行った。

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  8月にHESOMOGEこと川口忠彦さんの個展でギャラリートークを行った際に知り合ったデザイナーさんが勧めていた展示に行って来た。場所は神宮前のタンバリンギャラリー

 あんまり今日はアートを観る気力を持たず出たもので、前情報を一切仕入れずに足を向けたんだけど、そんな自分を鈴木氏の作品は嬉しくなるぐらい柔らかく迎えてくれた。普段、企画展などにはガチの(脳内)殴り合い、もしくはプロレスか何かを仕掛けに行くつもりで行っているので、ちょっと本筋から外れていたかも知れん、と反省。氏のドローイングはデザイナーとしてお仕事をされているご本人が緑の多い青山界隈を散歩して、気に入った情景を万年筆で描かれたもの。

 所謂一部のコミックエッセイのような親しみやすいタッチがあり、ご本人が散歩や街の“ブーケ(花束)”との出会いを心から楽しまれている空気が伝わってきつつ、しっかりとアートとしてのアウラ*2も発揮する、豊かさとカオスの間をするっと通り抜けるような作品群。間違いなく美しくて、楽しくて、落ち着いて、いつまでも観ていたくなるのだけど、たったの三色を器用に描き分けて織り出される草木の表情を見ていると、「こんなに植物に顔の違いなんてあったっけ……?」と不思議な気持ちになって、さらに見入ってしまう、そんなループにはまってしまった。

 それはもちろん、あの豊かな界隈の花壇にはデザインとして然るべき配置で然るべき観葉植物が植えられているということもあるけども、長く東京で生きていると街路樹を見慣れて忘れてしまう、ただの記号としての緑でない、生き物としての植物の存在感を思い起こさせる迫力がある。

 使われている色は三色。この配色は受験や資格勉強の参考書などでお目にかかることも多い三色刷りの雰囲気にも近い。要するに、街も、散歩している氏の視線も、この絵の中の主人公ではなく、そこに生きている植物こそが、ドローイングにおける主役なのであって、花壇も、通行止めの看板も、消防水利も、彼らのためのステージに過ぎないのだ。

 会場にはスケッチブック(布張りの表紙は単色で緻密に描きこまれた植物で覆われており、本としてとても魅力のあるデザインをしていた)も複数置かれていて、そこに取りとめもなく描かれる葉や花を見ていると、そういえば植物というのはそこにいけそうなスペースがあればとりあえず自分の存在をねじこんでいくというノリの生き物だったよなあ、と妙にしっくりくる。

 それにしても人は何故こうも緑に囲まれたがるのかね。おそらく、都市が生み出すランドスケープはまだ、森や山の植物たちが生み出す色や音の配分を越える快さを持たないのだろうな。展示帰りに道沿いに植えられた草花を観察してみたら、確かに同じ枝に生えた葉でもくすんだものからただ一枚やたらと瑞々しいものまで様々で、そんな基本的なことも忘れているようじゃいかんな、とまた反省したのだった。

 

 スタッフの方にお茶も振舞って戴いたし、とても良いところなのでまた来たい。

 

読書配分。

 今読んでいるのは、川上未映子氏のエッセイ、『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』。でも随分前から小説以外の、こうしたエッセイや新書などはそれ一冊だけを集中して読みきることができなくなっていて、常に読み途中の小説か、何か物語性のある文章が基軸にないと、なかなか読書自体をしなくなってしまっている。

 そも、読書しなくても毎日はてなやらcakesやらCINRAやら各ブログで内容の濃いコラムやインタビュー等の文章を山ほど読んでいるので、読みたいという欲求自体は割と充たされてしまっている。あと自分で小説を書いてると、その展開を考えるので代替になったりもする。

 ともあれ紙の本から離れるのはよくない。何がよくないって、現世と断絶できない。ネットと地続きの記事では連絡途絶できない。そういうことをしているとさっきのみたいに植物の色まで忘れて一緒くたに緑とか言い始める。よくない。そういうわけで、青山ブックセンターに行って本当は社員旅行のしおりを作るためにイラレの解説書を読みにいったんだけど買わずにフェアにまんまとハマり、かねてから欲しかった本をいくつも買ってきてしまった。マジで財布のこと考えてんのか?って自分で思うぐらいあそこでは本を無駄に買うのだが、とにかく最果タヒさんの詩集、『死んでしまう系のぼくらに(以下)』のほか、彼女による選書フェアでJPホーガンの『星を継ぐもの』を手に入れられたので大満足。

死んでしまう系のぼくらに

死んでしまう系のぼくらに

 

  詩には昔からかなり興味があって、主に詩の作られ方を暇のあるときにちまちまと調べてきた。どうも戦前戦中、新聞の紙面上の芸術として権威を得てきたという過去があり、そこから一気にマーケットを失って萎んで、っていう流れがあったみたいだけど、もちろん谷川俊太郎氏をはじめ、文学、美術としての詩を磨き文化として継承する流れはあったわけで、最果タヒさんは携帯アプリで詩をリリースしたり、遊べるゲームを作ってみたり、詩そのものも抽象性に言葉をすぐに投げ出してしまわないで、しっかりと感覚に付き合っていく地に足の着いた真っ当なつくりをしていて、今を知る上で欠かせない作家の一人だと思っている。

 まあそれについては読み終わってから改めて書くとして、これでエッセイ、詩、小説(とあとは新書やミシマ社社長のノンフィクションもある)と隙の無い布陣を完成させた。長い道のりだった。(?)読書家だったのははるか昔の話で、基本的にはゲーマー&映像の人で、SFが好きといっても古典は全然詳しくないのでいい機会でもある。好きな人が好きなものは頑張って食べれるもんだ。

 音楽ジャンキーが社会人をしてると本を開く機会はなかなかないが、持て余した時には小説を、ちょっとした隙間にはエッセイやノンフィクを、寝る前に詩を読み込む。内容的にこのバランスがはまりそうだから、ちょっと試してみるつもり。

 

 豊かなる孤独だけが、人がどこにでも持っていける唯一の財産なわけですよ。

*1:てゆーかTwitterSNSと呼ぶ風潮が未だに理解できん。あれはFacebookで言うところのウォールであって、各自の部屋のメモはっつけておく掲示板だろう。リプライも交わさずリアルで会いもせずに関係したつもりになってんじゃねー。愚図が。

*2:アウラについては語意とその必要性について次の記事を参考にされたし。

宇川直宏インタビュー 5年目を迎えたDOMMUNEの次なる目標 - アート・デザインインタビュー : CINRA.NET