2015/01/15 言葉断捨離意識序破急
真面目な話、やっと心臓動いてる意味解ってきた気がしてる。
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いや本当ありがとうございます。ご紹介ありがとうございます。
音楽という世界、本当に掘れば掘るほど理想に近づいていけるので希望しか湧かないなあ。
もう最近本当に、空き時間に読書か音楽を聴いたり歌ったりすることしかできなくなってきたのだ。
実際、音楽ほど(自分の好みにはまれば)隙のない遊びもない。一秒だって退屈する暇が無いわけだからなあ。
僅か数分の間に凝縮されたあまりにも多くの言語と感覚。末広がりに放出されていく音を一筋に収斂させていくのは一体なんだろう、ハーモニーという言葉も、意思という言葉もその現象の両極でしかない。共同幻想と斬って捨てるにはあまりにも濃く、確かな質感を持った息吹。
音楽も結局は生活音や喧噪の一部に過ぎないのかも知れない。好きな街、嫌いな街があるように、勝手にそこに立ってわが物にしたような気になっているだけなのかも知れない。表現、表現、表現。安直に用いられる『祈り』なんて言葉の軽さには耐えられず、率先して自らを投げうち、明らかに個の範囲では理解を超える何かに、それでも個をもってコミットしていき、その感覚が何なのかを確かめずにはいられないわれら。
さんざん色々な場所で踊って歌って、ステップを踏んでたら漠然と「あー、心臓が止まってたら体でビート刻めないな」というしょうもないことに気付いて、こんないい音山ほど出てくるならまだセッション用にこのくそったれな肉体も取っといてやってもいいな、と最近ちゃんと思い始めた。何年音楽聴いているんだよ。今更だよ。まあそれが大人になるということであればまあそれもよし。
っでね、もう好きな人はご存知なんだけど、自分の中でとてもとても評価の高い音楽は本当に言語化できないというか、あっ太刀打ちできないです……とばかりに言葉が毛穴から飛び出して行ってしまい、最近はなかなか、それはもうなかなか言葉足らずな日々だ。
これはもうあれなのか、デトックス的な何かなのか。これだけ情報を過剰に摂取する日々を送っていても、人生には「言葉にする必要のない言葉」があるということに気付く。意外と忘れるんだ、これが。忌み嫌うものは、実際のところ、自分との相性が悪いだけか、すでにそれ自体が死につつあるものかのどちらかで、結局自分の人生とは関わらずに外れていくものだったんだ。
だからというわけではないけど、頭の中に渦巻く思考もだいぶ整理が始まった気がしていて、これは捗る捗るといった具合。そして勉強が特に捗っている。なるほど、言葉を捨てて生きているようで、本当に必要なものだけ静かに内に積み重ねるための強制断捨離マシーン。表現よ。そして空っぽになった頭には入れたかったものを入れよう。壺に大きな石を先に入れずに小石や砂を先に入れると取り返しがつかないという。でも別に取れるのでまた入れ直そう。
ロジカルとそうでない領域の行き来はまだ続く。行き来を繰り返して橋を架け続けて、輪郭をつかむ。そう、ウィトゲンシュタインがいつかつかめるだろうといったそれを。天蓋のへりを。それまでに死ぬかもしれないが、行く価値はあるのだ。ぬう。ぬう。