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七梨乃手記

……あなたは手記に食い込んだ男の指を一本一本引き剥がすと、頼りない灯りの下それを開いた。@N4yuta

ニンテンドースイッチと”アダプタブルゲーミング”の時代

ドンキでスイッチを買うと巨大なロゴが入った真っ赤な袋に入れて渡される上に、横にはドンキのロゴがちょっと控えめに入っていてすごい。

 

www.4gamer.net

 

本体は構造的にはほとんどタブレットと言われているNintendo Switch。我が家にもやってきて、実際にHDMIでPCモニタに出力してのプレイ、タブレットモードでのプレイを試してみたが、やはりシームレスにモニタ<>タブレットの切り替えができることに思わず感動してしまった。

TVモードにする際にJoyConを取り外してコントローラにはめるというひと手間があるのだが(逆もまた然り)、左右二対のコントローラが分離してひとつにガッチャンコしたりふたつにまた分かれたりするのがとてつもなく変態技術じみていて、いじっているだけでも楽しい。ここらへんは昔から家庭の中のゲーム機を意識してきた任天堂のおもちゃっぽいデザインが大いに活きているなあと思う。

例によって競合機とはグラフィック方面のスペックで負けているらしく、タブレットモードでは更にそれなりのグラフィックになるわけだが、それでも尚、ここまでのスムーズさでコンシューマーのリッチな体験を”持ち出し”できるようになったことに驚きを隠せない。

一緒に買ったソフトはゼルダだけなのだが、どんな崖でもスタミナが持つ限りはよじ登れる等の割り切った仕様といい、じゃあ地図なんか無視して最短距離で行ってやろうじゃねえかと断崖絶壁を捜し歩くと見事に足場が用意されている手間のかかったレベルデザインといい、日本特有の異常に細かいところまでサービス精神を尽くす感じが遺憾なく発揮されており、散々オープンワールドをやって来た身としても新鮮な気持ちで遊べる良作だ。やはりオープンワールドは莫大な資本と組織力がものをいうジャンルだな、と改めて感じた次第。

 

「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」が実現した“かけ算の遊び” - GAME Watch

 

スイッチが実現したコンセプトの一つ一つは、特に物珍しいものではないし、現状のラインナップを見ても初見でハードコアゲーマーを動かすほどではない。実際自分も買わなかったと思う。今も付き合っている相手のおこぼれでやらせてもらっているだけだ。

個々の要素について、注目すべきポイントは既にそろっている。携帯ゲーム機も据え置き機に匹敵するハードスペックを持つものが出てきている。それに対してソフト側も、インディーズデベロッパの成長により、テイストを選ばなければあらゆるジャンルでそれなり以上のゲームを楽しむ事ができるようになり、ソシャゲを除いても、スマホで楽しむ選択肢が広がってきている。友達と遊ぶということであれば、オンラインでいい。

しかし、スイッチが良いなあと思うのは、それらの各要素の間にあるハードの障壁を壊してくれたところで、これは実際に手に取ってみて初めて気づいた今欲しい要素だった。

実際のところ、Skyrimが動く程度のスペックがあるのなら、グラフィックに感動することは十分に可能だと思っている。PCにおいてはストリーミングや録画をしながら高設定で動く程度のスペックは今時欲しいどころだが、4K出力のために家電から替えるようなモチベーションはまた少し違う欲求だということは、多くのゲーマーにとっては共通の認識だろう。ゲーム体験がそのままマシンスペックと結びつく時代はとうの昔に終わった。今ゲーマーに訴えかける「刺激」とは、レベルデザインであり、ストーリーやロアであり、ナラティブであり、インプットの方法であり、費用対効果であり、それらすべてを含めた「プロダクトの規模感に対しての、相対的なインパクト」に他ならない。

人は何もかもすべてを自由にやらせてくれるオープンワールドが欲しいのではなく、自由を得るきっかけやからくりに触れたいのだ。ゴールドラッシュは金そのものではなく、「つるはしで鉱床を叩く」という刺激によって人を虜にしたはずだ。

 

相対的なインパクトが問題ならば、上限に挑むのではなく、様々な形でコストを下げることもプラスに作用する。スイッチが提示したのは、ゲーム起動までのコスト(手間)の破壊であり、人間同士の「都合」に対して融通を利かせるという、ハード屋としてはまったくもって正論といえるコンセプトだった。

思い付きで”アダプタブルゲーミング”などと名付けてみたが、要はユーザの生活に適応する形でハードが形態をチェンジして、あらゆる生活シーンにおいて一貫したゲームプレイの機会を増やすことで、ゲームの時間が特別な、隔離されたものでなくなっていく、そんなゲーム体験のプロセスの変化が始まっている。

スイッチがインディーズデベロッパとうまいことやって、彼らにとってSteam以上に居心地の良いプラットフォームになるのなら(そして無数にある粗悪品をうまくフィルタできるQAのアイデア任天堂にあるなら)、この変化の旗手になることも不可能ではない。

スイッチがそこまで成長しなかったにしても、あるいはそもそもスイッチが出なかったとしても、この流れ自体は既に出来上がっている。Steamはとっくの昔に同じことに手を付けていたが、残念ながら自前のハード戦略で実現することは叶わなかった。マイクロソフトもOSに無理くりXbox関連機能をぶっこんで来たり、テコ入れを繰り返して少しずつ食い込んできている。ハードの垣根を越えて、そこまで大差のないスペックでゲームを遊び続ける未来は近づいてきている。ゲームソフトの表現も広がっている。AAAタイトルに疲れたら、90分でクリアできるウォーキングシミュレータで箸休めができる時代だ。

スイッチからは離れるが、今ハマっている剣戟アクションforHonorも、クロスプラットフォームによる勢力争いを実装し、PS4/Xboxコントローラ操作とマウス・キーボード操作の両方に見事に対応しており、アナログスティックの操作感になじみ深いプレイヤーはコントローラで、行動ごとにボタンが振られている明快さになじみ深いプレイヤーはキーボードで、「格ゲー」であり「戦略ゲー」であり「チーム戦」である本作を楽しんでいる。それぞれの得手不得手、指向性に合わせたデバイスの選択、ゲーム性の選択ができるようになっていく、この流れはさらに進んでいくだろう。

 

個人的なケースで言えば、うちにはHDMIモニタが一つだけでテレビがないので、PCと据え置きでモニタの取り合いが発生してしまうわけだが、こちらがPCでガッツリやりたい時はスイッチのタブレットモードでプレイしてもらい、逆にこちらが休憩したい時はTVモードで楽しんでもらう(ゼルダは横で見てても飽きない)、というハードの制約や共同生活上の都合にも上手く対応してくれていてとてもありがたい。限られた環境の中でもお互いに満足のいくゲーム体験ができる。ゲームにおいて、”持ち出し”が可能にするシチュエーションは思っていたより多そうだ。

 

個々の生活にアダプタブルに(適応して)関わっていくというプロセスの変化は音楽や映画でとっくに実現したことだが、それらとは違い、この変化はゲームそのものの本質にも影響をおよぼすだろう。

 その時にゲームが持つインタラクティブ性が、どのようなナラティブを生み、どのようなデザインを生み、どのようなサウンドを生むのだろうか?期待は尽きないが、ひとまずスイッチがハードコアなPCゲーの後にベッドで寝転がりながらまったり海外のとれたてインディーズを遊べるようなプラットフォームになってくれることに期待したい。