七梨乃手記

……あなたは手記に食い込んだ男の指を一本一本引き剥がすと、頼りない灯りの下それを開いた。@N4yuta

2014/12/29 あたしとロックを―CDJ day2

COUNTDOWN JAPAN14/15 初参戦。

 今年は音楽に身を捧げると決めた年だった。

 夏にフジロックに初参戦してから、今年どうしてももう一発フェスを仕込みたくて、CDJ後ろ三日券を買ってしまったのだった。

 かねてからロックフェスデビューしたいと言っていた子を連れて海浜幕張へ。いやー、流石に定番年越しイベント、空調も誘導もフードスペースの確保も完璧で、この上なく快適なフェスだ。きちんと時間を選べば音楽を楽しみながら旨い飯も食べられて座って休むこともできるので、安心して遊べるいいイベント。ひたすら感心してしまった。

 

 本日観たのは以下。


ゲスの極み乙女。 - 猟奇的なキスを私にして - YouTube

 初っ端からゲス。ナイスブッキング。ナイス入場規制。

 いやいや、ヴォーカルも演奏も実際手堅い手堅い、超ソリッド。当たるべくして当たったというか、当たって良かったと言えるバンドなんじゃないだろうか。絶妙な毒とサブカル感の入り口からストレートにポップへ抜けていくこの展開、今を象徴していると思うし、一番手がはまり役。昼飯を食っていったのに踊りすぎて終わった時には腹が鳴り始めていた。

 


ZAZEN BOYS - 泥沼 @ ボロフェスタ2013 - YouTube

 安定の諸行無常。今回の性的衝動はおしゃれクラブサウンドへ抜けて行ったので個人的に親しみやすかったwああスーツ。ああおやじロック。横にずれたサングラス。エスプレッソだよこれは。踊らされるのだよ。

 


[Alexandros]- Waitress, Waitress! (MV) - YouTube

 連れの推しで観に行った元[Champagne]こと[Alexandros]。

 普段はゴリゴリしたギターばかり聴いているので、煌びやかな音のシャワーみたいなサウンドは聴いていて癒される。イケメンサウンド、いい。Champagneの頃はそこそこ聴いていたけど、Alexandrosになってからはもっとキャッチーというか、王道な感じになった印象があって割と興味を惹かれる。今後も注視していきたいバンド。がっつり気合入れてライブやってくれるしね。

 


GRAPEVINE - 望みの彼方 (名盤ライブ『IN A LIFETIME』) - YouTube

 はい。渋くなりましたね本当に。一つ一つの言葉と音を丁寧に丁寧に刻んで、全力でなぞっていく音作り。移籍後の新アルバム期待。昔の曲も、今の曲も別々にすごく良いので、もっともっと聴かれて欲しい。ロックが人を救うとしたら、最も直接的にそれを実現しているのがこのバンドだと思う。本当にありがとう。

 


クリープハイプ - オレンジ - YouTube

 世界観。世界観!!!!!!!!

 貫録の入場規制。まあ青田刈りですよね。うんうん。

 ただライブはどうだろ……自分は空腹に負けた。しかし演奏は聞き惚れる。メロディーラインがね!もうね!

 


赤い公園 - 今更 - YouTube

 今日の個人的MVP。

 もうアルバム一枚聴いた時点できとるでこのバンド感がすごいよという状態だったが、あまりにもパフォーマンスが美しすぎる。力まず、構えず、ストレートに楽しさ、音楽の美しさを追求した姿勢。それができるロックバンドは実際とても少ない。ガールズバンドならなおさら難しいかもしれない。でも、ストレートでいい。ストレートであればいい。ロックを信頼すればいい。それが心底わかっている人間の動きだった。

 正直あまりにも美しかったので落ち込んだ(あまりにも良すぎるパフォーマンスを観るとキャパシティ超えた時点で心のブレーカーが落ちる)。

 えーと、来年ライブ行きます。

 

 


エレファントカシマシ「今宵の月のように」 - YouTube

 落ちて砕けた心をエイヤッと回収してくれたエレカシ。いつもすみません。『お前らなんて素直なんだ、なんて素敵なんだ、嬉しいぜエビバディ!!』『一緒に生きていくだろ!!』『金以外に大事なもんがあるかバカヤロー』などの正拳突きを食らって立ち直る。ありがとうございます。この48歳の全肯定はパワーがありすぎる。力押しすぎる。押し切られて元気になってしまう。

 それにしても、チャートが死んで久しい現代に、自分がまだまだ幼いころに好きだったバンドが今日もまた好きな歌を歌って、何千人という人間に手を振らせるって、本当にうれしいものだ。もっともっと若い世代にも知られていけ、広まっていけ。

 

 以上、フルコースの贅沢。

 雑食の自分でも、やはり故郷はロックだったのだと感じさせるには十分なラインナップ。ロックというやつはなんで、他ではケチのついてしまうストレートな肯定ってやつをあんなにも綺麗にやり抜けてしまうのだろう。スポットライトに照らされたアーティストと無数の揺れる手以上に美しい人間の姿など、あるだろうか。

 満面の笑顔で舞う歌手に屋根を押し上げる無数の手を観ていると、決して届かない美しい光が神輿のようにたくさんの人の手によってどこか遠くへ行ってしまうようで、寂しかったり愛しかったり、猥雑な感情が心をかき乱す。だから必死に手を伸ばしたくなる。

 過ぎ去っていく美を惜しんでいるばかりでなく、いつか自分もその光を手にするために、余所から見れば陳腐かも知れないストレートな愛の詩を、自分にコードとして刻み付けて歩いて行こう。

 

 連れの子も世界が変わったかのような充足っぷりを放出していて、嬉しくなってしまった。どんどん広がっていけ。音楽という多言語コミュニケーションは、ただそれがリアルに共有されることによって、より理解され、育まれていくのだから。

 いい一日だった。本当に、ロックはいいものだ。

2014/12/23 ~ずにはいられない

部屋を何で嵩張らせるか問題。

 川口さんKindleまじでいいよー、という話をして頂いて、早川文庫の電子書籍が半額セールを始めたということもあり、Kindle Paperwhiteを買ってしまった。

 

Kindle Paperwhite

Kindle Paperwhite

 

  値段的にギフト需要も高いようで、クリスマス向けに2000円引きクーポンも適用できたので、割といいタイミング。本格的に電子書籍デビューを果たすことになった。

 何しろ家の本棚が限界である。

 うちの部屋を埋め尽くす二大元凶、本と服。いずれももはや棚に収まっていない。収まれない。しかしよくよく考えてみれば、服はまだしも本はこうまで場所を取っておく必要があるものばかりでもない。自炊できるような環境があるならばそうしてしまうべきものもあるし、そもそも手元になくてもいいようなものもある。ここらへんの切り分けは、自分が毎月後先を考えずに本を増やしてしまう習性のために割と急務であって、物として持っておく必要のないと思われる書籍はガンガン電子書籍で仕入れていくべきだったのだ。

 そもそも、自分は公共の場でそうそう本を取り出さない。携帯も相当こっそり見る。外で本を読むといえば、カフェ等腰を落ち着けられてある程度のパーソナルスペースを確保できるところに限られる。自分が知っていて、認めた人以外には、自分がどんな本を好きかはもとより、何を考えているかすら明らかにしたくないからだ。ネットで好きなことを書くのはいいのかという話もあるが、リアルな存在と内面が紐付いているかどうかというのが結構大事である。

 そういう意味でも、iPhoneでも読めるKindle電子書籍は便利だ。落ち着いた場所では端末、それ以外では携帯でこっそり読み続けられる。

 自分はこれに加えて、人に貸し出したい本や、物として保持しておきたいもの、あくまで紙で接したい本を紙の本で所持する。

 この紙の本と電子書籍の振り分けが目下の悩み。

 特に小説。詩集なんかは紙の本で持つべきだろうが、割とこの先はそうでもないかもしれない。小説はもう本当に読了後に紙の本で持つべきだったと後悔するパターンが出てきそうだ。まあ仕方がない。読書の絶対量は多ければ多いほどいい。書店はそれぞれに癖があるし、通販は受け取るタイミングを計らなければならない。読める活字はなるべく早く読むに限る。

 

読み解けるものはすべて過去であるということ


自分で読みなおしても、どうかしてるマンガだなと思う。|【完全】さよならプンプン【ネタバレ】浅野いにおインタビュー|浅野いにお|cakes(ケイクス)

 

浅野 自分がマンガを描いてる動機のひとつは、自分が抱えてる疑問だとか不安だとかを解消したいんですよ。『プンプン』を描き始めた時の状況と今の状況とを比べると、今はすごくラクなんです。
 あの頃のあらゆるものに苛立ってる感じとか、いろんなものに対する不安はかなりなくなったので、描くことで解消したのかなと思います。

 例えば息を呑む感動。のしかかる苦悶。「現在」は常に言い表すことができない。

 肉体は常に理性の一歩先を行き、そのために、あらゆる人間は常に裸でモーメントに直面する。理性は意味を後付けするために機能し、その現実から精神を保護するために様々なロジックを構築する。時にはそのロジック自体が障害となることもあるが、基本的には絶えず重なりゆく「現在」との衝突のダメ―ジを補うために、われわれの理性は拡充されていく。

 そのためのツール(あるいは言語)は人によって異なる。好きなものを選べばいいが、最終的にはそれによってダメージの内容が記述されなければならない。人は障害のログを生成しなければそれに対処できない。そこに社会的、経済的価値があるかどうかはあまり関係がない。

 人は常にそのログを生成するための適切な言語を探している。「現在」との接し方は、自然とそうした言語の実験が主となる。その進捗のいかんによって、人生の質は大きく変わってくる。「~せずにはいられない専門的な人々」など存在しない。悩まない人など存在しない。人はよりよい記述のために努力し、生きていく。特別な、という意味のポエジーなど存在しない。記述せよ。誤っていたとしても、ロジックの更新を続けよ。それに勝る解決など存在しない。

 人は、少なくともこの時代においては、記述することで生存する。

 それが今日まで生き残ってみての実感でもある。

【映画】C・ノーラン『インターステラー』感想(微ネタバレ)

私たちはもはや、私たちのあまりにも豊かな感性について、機械のギブスなしに語ることはできない。


Interstellar Movie - Official Trailer 3 - YouTube

 

 クリストファー・ノーランという人は、流行によって風化しない偉業を成し遂げる人のほとんどがそうであるように、極端なロマンチストである一方で、その極端さと同じ強度でシビアに現実を押さえる。だがそれにも関わらず彼がリアリストでない理由は、その現実的問題の一つ一つを逃さず積み上げた上で、なおロマンチシズムの現実的達成を目指すというところにあり、その仕事をもって、人類になぜ文化というものが必要なのかを証明し続けている。

 つまり、われわれは語りえないものについていかに語るべきか、ということを示すという仕事をしていて、それがいかにしてわれわれの「実務」を繋いでいるのか、ということを表したのが、本作『インターステラー』である。

 

 本作は、「家族」「愛情」をキーワードに、宇宙を舞台としたSF映画の体裁を取る。だがそもそも良き家族とは何か?われわれの中にある何が良き家族を生み出し、それを継続させるのか?そういった問いに明確に答えられるものはまだない。

 この映画では、主人公の家で必ず決まった本が落ちる「幽霊」のいる部屋を皮切りに、超自然的存在に対して、至極真っ当な宇宙探査という手段(本作で用いられた科学にまつわる表現がいかに正しい引用を経たかについては、次の記事を参照されたい――映画「インターステラー」をみる人に届けたい5つの豆知識 )でもってアプローチしていく。

 

“生命の営み”が持つ一定の限界

 改めて語るまでもなく、宇宙空間そのものは人間にとって最も生存からかけ離れた環境であり、その空間の中から地球と同等の生存可能な惑星を見つけ出す科学力は、未だ人類に充分備わっていない。限られたリソースと手段とともに宇宙空間に存在するということは、地球上で持っているあらゆるものを自分から削ぎ落とすことに他ならない。そこには一切の「溜め」がないゆえに、自分の持つもっとも信頼できる知識と経験、そして根本となる信念、思想の強度が試される。そして人間という種が持つ基本的な仕様――われわれはコミュニケーションによって得られる「気力」か、充分に確保された「体力」、あるいはその両方を持たずに、死の恐怖=孤独に耐えることはできないということが明示される。

 

 作中においてある人物は、この死の恐怖こそが人類の想像力の源泉であり、すべての行動の動機であると示唆する。これ自体は素晴らしい指摘のように思えるが、それはノーラン自身によって否定される。『ダークナイト』『インセプション』などで描かれたどん詰まりのループが、この作品においても再び、優れた手管で繰り返し再現される。それは一切の予断を許さず、死の恐怖に対する生存本能というものが単なる衝動であることを表し、それはちょっとした高慢によって躓き、誤った方向へと突撃していくものであると語られる。

 そして大変困ったことに、この失敗を積み重ねることによって、われわれはわれわれ自身の判断能力に疑いを募らせていく。それは解消することのできない疑念であり、われわれは仕方なく、哲学や物語の闇の向こう側へそれを投棄する。つまり自らのいい加減さを無視する以外にそれに対する疑問から逃れる術は無いのだ。

 

 だが、そうして逃げ出すことができない環境にあったとしたら?そこでノーランが持ち出したのが、「ロボット(AIを搭載した機械)」という、人間の倫理観を超えた知的存在である。

 彼らは、少なくともノーランの描いた世界の中においては、作戦の根幹を担うだけの計算能力と、クルーの会話の相手を務めるだけの知能を持ちながら、あくまでも“投棄”可能な道具の一つとして人間社会に受け入れられている。このことがループに行き当たりどん詰まったクルーを幾度となく受け止める緩衝剤となり、次へと繋ぐオルタナティヴな手段(アクションヒーロー的に言えば「プランB」)となって、不測の事態に対して理論のストックを切らした人類の歩みを前に進ませていく。

 そこには「ヒューマンドラマ」が前提として備える人間の能力に対する無批判な信頼など一切なく、人間にとっての愛の価値は人間の存在を肯定するためにあるという考えは、実に丁寧に否定されていく。

 

 そうして一通りの「引き算」が終わったあとで、物語は初めてクルーに選択肢を提示する。そしてその場でメッセージを発したのは、トム・フーパーレ・ミゼラブル』で愛を歌いながらも、貧しさのために娼婦に身をやつして死んでいく母フォンテーヌ役を務めたアン・ハサウェイだった。

 

アン・ハサウェイの起用で時空を超え差し伸べられる『レ・ミゼラブル』への救い

 アン・ハサウェイ演じるブランド博士は、愛は観測し数値化することが可能な概念であり、われわれはそれを追うべきだと説く。われわれは、われわれの持つ知性と科学技術によって、愛を解析できる。それこそがわれわれをこの先に導く鍵なのだと説く。そしてそれは、まさしく文字通りに次元を超えることによって論理的に肯定される。

 敢えて『レ・ミゼラブル』への紐付けがされたなどとは思わないが、愛を歌うフォンテーヌを死なせ、物語に回収することによってその言葉の価値を守ろうとした『レ・ミゼラブル』に対して、『インターステラー』は時間と、それに付随する価値観を乗り越えることで、「物語の中」でもフォンテーヌを生かすことに成功している。人はたとえ作り話の中にあっても、人間にとって最も大切なものを語るために犠牲になる必要などないという意志を感じずにはいられないシーンだし、それはSFという論理性を突き詰めるジャンルならではの説得力をもってしか成し得ないことだったと思う。

 なぜならば、彼女を救ったのは(宣伝に反して)家族ではなく、彼らがコミュニケートするために利用した技術であり、ロジックだったからだ。

 

人工知能との対話は人類の進歩の延長線上に当然に存在している

  『インターステラー』は全篇を通してAIへの信頼を前提に成り立っている物語だ。それはつまり、人類の平均的な想像力が宇宙をより身近なものとしてイメージするに足るものにまで成長してきたことを表し、それと同時に生存本能という抑えがたい衝動が、われわれを一定の境界に縛り付けているという避けようがない課題を浮き彫りにする。本作におけるAIは、感情によってしばしば思考を止めてしまう人間の「バッファ役」として常にそのそばに寄り添い、一瞬たりとも計算の手を止めることなく解法を求め続けることによって、主人公たちに適切なヒントを供給し、人類の希望へと導いている。そして最終的には、AI自身にも定義できない「彼ら」――完全にAIとの融和を果たした人類の発するコードを得る。

 ここには、機械を「使う」という概念は存在しない。むしろある特異点を超えた時点で、本作の世界では機械は「使うもの」という概念が機械は「対話するもの」という概念に変わっているのだ。

 そしてそれは、昨今のAIの進化の道程を振り返れば、きわめて自然な変化であるということがわかる。今やわれわれは、機械との対話を積み重ねることによって、われわれのカバーできない盲点を解析してもらい、論理的にその部分を補強することによって、さまざまな技術的進歩を実現している。ビッグデータはその典型だといえるだろう。今はまだ自分たちの「癖」を読むために機械を利用している段階だが、すでに機械は人間のある一面においてそれを代替する役目を担っている。

 産業革命以降、われわれは記号を扱い、機械によって営みを構築し続けてきた。現代は、いよいよその存在を明確に主張し始めた機械たちに対して、適切な関係を構築するフェイズに差し掛かっている。無暗やたらに人間を全肯定し、「聖人」を作り上げることですべてを人類の枠の中に収める時代は終わった。われわれはわれわれの中の種としての万能感に批判的な目を持って向き合い、機械との距離感について考えなければならない。『インターステラー』に込められた思いはそのようなものだと感じた。そして、そのように説く文化そのものの現代における重要性もまた強く噛み締めた。対話の努力の先にどのようなことが実現可能なのか、その可能性を追うこと、それこそが文化の為せる業であり、人類社会が以後誤ることなくその成熟を進めるための「あたり」として、まさしく必要とされるのがこうした物語なのだ。

 

 たとえ「愛」そのものにわれわれ人類にとっての利用価値がなかったとしても、それを追い、語ることによって得られる恩恵は計り知れない。そのための憑代や道具として、あるいはパートナーとして、機械というものは今日も、われわれのすぐそばに存在している。

 

 この時代にこういう映画を観れて、本当に良かったと思う。

2014/11/24 言語を合わせる

“私が尊敬している先輩に共通しているところは、みなさん、私のところまで降りてきてくださるんですよ。素晴らしい何かを成し遂げる方って、降りることができるんですよ。”


蒼井優「生きていくなら、言葉にするのを諦めてはいけない」|いま輝いているひと。|cakes編集部|cakes(ケイクス)

 

 相手の言語に合わせないと、そもそも言葉が伝わらないからなんだろうなあ、と。

 

結婚・恋愛ニュースぷらす : 【閲覧注意】女の子を拾ってきた話をする

 

 伝わる人にだけ伝える、というスタンスも、より多くの人に伝わるよう苦心しながら伝える、というスタンスも、それぞれに効果があるのだが、フィクションの壁を乗り越えたいと思うなら、一つでも多くの言語を習得するということは避けられない課題のように思える。

 この場合の言語は、単なる言葉ではなく、倫理の体系、正義を生み出す装置の仕組みのことだ。誰かのために存在する正論のことだ。

 特に、明確な目標に対して言葉を届けたい場合、時に入り口が一つしかないことがある。

 その入り口が入る者に多大なる代償を支払わせる場合もある。

 全く新しい言語できちんと筋を通したストーリーを作り、その説得力でフィクションの壁を力技で踏み越えるという手もある。

 

 人を受け止めるとは、その人が一番大事にしているものを受け止めるということなので、無暗やたらに肯定の言葉を投げても会話は成立しない、というか、同じ罪を共有しないと根本的に無理があるので、そもそもの限界はあるし、そこを踏まえた上でできるアプローチというのを考えなくてはいけない。

 それにしてもこの世は地獄だよ、実際。

2014/11/19 This war of ours

発信することってどういうことだと思う?


学園祭の「ホモネタ」企画を考える――「芸バー」炎上、何が起こっていたのか / 遠藤まめた / 「やっぱ愛ダホ!idaho-net」代表 | SYNODOS -シノドス-

 

 いやぁ、YouTubeが出始めた頃にはこういうヘイト系のコンテンツが割とコンスタントにPVを稼ぐカテゴリの一つだったし、FPSなんかで海外のプレイヤーとマッチングして明らかに下層民であろう白人プレイヤーのヘイト*1をそのまま輸入しちゃうとか(自分も大昔に一回だけ口を滑らせたことがあって反省した)、とかくネットは負のループを生みやすいものだけど、いよいよ日本もジェンダーについての議論を逃れることができないところまで来ているよなあ、と思う今日この頃。

 とりあえず、学校まで買収してゆりかごから墓場までを狙うKADOKAWAドワンゴはある意味当然に起こったこの問題にどういう形で倫理的責任を取るつもりなのか、ポリシーの提示はあるのか、注視したいところだし、一旦まとめたいと思っていたが、今日はそれは置き、以下の文章を訳してエントリとしたい。

 

Steam Community :: Spirit :: Review for This War of Mine

 


This War of Mine Launch Trailer - The Survivor ...

 

 1992年のサラエヴォ包囲を元に、兵士ではなく、紛争に巻き込まれた市民を主人公としたベルト式のアクションアドベンチャーゲーム

 以下は、ゲームのオンラインプラットフォームSteam上でもっとも多くの支持を獲得したプレイヤーレビューである。

 

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Day 21: It's been three weeks since we moved into this bombed out house we've come to call home. Three weeks since I've last seen any members of my family; two since my last hot meal; one since Katia was gunned down scavenging for food and medicine. Bruno hasn't fared well. The illness is no longer confined to his body – now his soul is sick, broken. The snows have come, and we're feeding the heater every day now... I wept when we burned our only two books. Bruno scoffed. “They're children's books,” he muttered from his sick bed. “It's not as if we read them.” He didn't bother asking who's books they had been.

 (21日目:3週間。爆撃で穴だらけになった廃墟を“家”と呼ぶようになってから、それだけの時間が経った。私が家族たちの顔を見ることができなくなってから3週間。最後に温かい食べ物にありついてから2週間。Katiaが食料と薬を探しに行って撃ち殺されてから1週間だ。Brunoの様子はひどかった。病はもはや彼の体だけでなく、魂までも冒し、壊してしまった。雪が降りだして、このところ私たちは暖炉を養って過ごしている。最後の二冊を焼いた時に、私は泣いた。Brunoはそれを見ると馬鹿にした。「子供の本だぞ」彼は病床で呟いた。「読んでたわけじゃあるまいしよ」それが誰の本だったのかは聞こうとしなかった。)

 

Day 25: I scavenged last night. We're both starving. I remembered a house, untouched by the violence. I had come weeks earlier in the hopes of getting supplies only to find it occupied by an old couple... living as they had before war came. They reminded me of my grandparents, and I left. Katia and Bruno had not been happy, and we did not eat that night. I returned this past evening in the hopes that they had fled... or worse, shamefully. But they had not. The old man struggled, wouldn't let me steal his wife's medicine. I tried to tell the proud ♥♥♥♥♥♥♥ I only needed a little, for my friend. I struck him and he hit the floor hard, unmoving. His wife screamed. “Why have you done this?” I am not sure if this was directed at me or God. What little food was left in my stomach came up, and I fled with what little I could carry. We'll eat tonight, and Bruno will have medicine.

(25日目:昨晩、物を漁りに出た。私たちは飢えていた。私はまだ蹂躙されていなかったとある家を思い出した。何週間か前に私は物資を求めてそこを訪れ、老夫婦がそこで暮らしているのを見つけた。彼らを見ていると祖父母を思い出して、私はその場を離れた。KatiaとBrunoは不満そうだった。その夜は何も食べることができなかったのだ。そして昨晩、私はあの老夫婦が逃げるか……あるいはもっと悪いことになっているかに期待して、恥を忍んで、その家を再び訪れた。

 だが、期待通りにはいかなかった。老いた夫は、妻のための薬を盗ませまいともがいた。私はその尊大なクソ×××に、自分の友達のためにほんの少しだけでいいのだと伝えようとしたが、無駄だった。私は彼を殴り、彼は床にひどく叩きつけられて、動かなくなった。

 彼の妻は叫んだ。「なんで、こんな」それが私に向けられた言葉なのか、それとも神に向けられた言葉なのかはわからなかった。胃の中のわずかな食べ物を戻しそうになって、私は最低限の物を奪って逃げだした。今晩は食事にありつける。そしてBrunoは薬を飲める。)

 

Day 27: Bruno passed sometime during the night. He looks at peace. It is better this way, I suppose. I shall join him. Hana, Emira, Lejla – I shall see you all soon.

(27日目:Brunoは夜のうちに死んでしまった。今は安らかに眠っているように見える。これで良かったのだ……そう思う。私も彼に加わるだろう。Hana,Emira,Lejla――お前たちにも、もうすぐ会える。)

 

This War of Mine is an indie title set in an unspecified city that's been besieged. You and a random set of survivors brought together by chance stumble upon a bombed out building. You control these characters by clicking on them or their photographs (which also provides a daily bio) and clicking on an interactive prompt.

(This War of Mineはとある、包囲された都市を舞台にしたインディー・ゲームだ。ランダムに加えられた幾人かの生存者たちとともに、プレイヤーは爆撃を受けた建物に降り立つ。健康状態を確認できる各人の写真、またはキャラを直接クリックして操作し、周囲のアイテムをクリックして動かす。)

 

It is at this point that every game of This War of Mine will diverge. As you walk around your new home, shifting rubble and unlocking armoires, you'll find supplies: lumber, food, medicine, and all important components. Components (and lumber) are your primary building tools in the beginning, with which you can craft beds and chairs... these may luxurious in a time of war, but creature comforts help keep morale up. Advanced items (machine parts, electronics,) will allow you to construct a metalwork, stove, heater, radio, and oven. But you'll never have enough for several of these items, not in a single day.

 (このゲームにおける分岐点はここから始まる。新しい家に着き、瓦礫をどかし、箪笥を開けると、木材、食料、薬、そして様々ながらくたを見つけることができる。がらくたや木材はベッドや椅子を作るための建材として使える。戦時下においては贅沢品のようだが、肉体的な安息は士気を保つのに役立つ。機械部品などは金属製品、ストーブやヒーター、ラジオ、オーブンを作るのに使える。だが、これらの部品がたったの一日で十分に集まるなどということは決してない。)

 

So it's up to you to decide what should come first. Do you build beds, so everyone can have a good night's sleep? Sure, you can sleep on the floor – but it's not as good as a warm bed. Do you eat cans and raw food, not very filling or comforting, or do you build a stove to make hot meals? Do you construct a weapon with which to defend yourself, or do you choose to build an herbal crafting station or moonshine still, great for future bartering?

(そのため、プレイヤーは最初に決断しなくてはならない。ベッドを作ってみんなが良い睡眠をとれるようにするべきか?もちろん床に眠ることもできるが、ベッドほど暖かくはない。量が少なく不味い缶詰や生ものを食べるか、ストーブを作って温かい料理にありつくか?武器を作って身を守るべきか、それとも薬草畑や密造酒を造って来たるべき取引に備えるか?)

 

You'll busy yourself during the days with these tasks, and how to divvy them up. Some characters might be sick or slightly wounded, and keeping them in bed all day can help with recovery. But someone is going to have to craft and dig through rubble. When day turns to night (8 PM) you'll have further decisions to make. In the bombed out city there are sites – villas, apartments, houses, hospitals – with potential supplies, some more promising then others. Each carries with them the risk of human habitation. Some people are willing to barter uneasily, while others are ♥♥♥♥♥♥ deserters from the army. Pillaging an empty building has no repercussions, but robbing people is generally frowned upon, and justice is swift and cruel. Worse still, there are looters who may just shoot on sight.

(日中はこれらの仕事をこなし、またそれを配分するのに忙殺される。何人かは病気になったり傷を負い、回復のためにベッドから離れられない状態になることもある。だが誰かが何かを作り、瓦礫をどけなくてはならない。午後八時を過ぎると、プレイヤーはさらなる決断を迫られる。都市には集落、アパート、家屋、病院などといった施設があり、そこには他の建物よりも高い確率で物資があるが、ほかの人間が住んでいるというリスクも抱えている。中には取引を持ちかけることができる相手もいるが、他は×××な脱走兵どもだ。

 空き家から物を奪うのには抵抗がなくとも、人々から奪うことは一般的に眉をひそめるような嫌悪感を伴い、その報いは素早く、そして残酷に訪れる。さらにひどいことに、こちらの姿を見た瞬間に撃ってくる強奪者たちもいる。)

 

So who will go? Sending your fastest runner means they'll have a better shot at outrunning would-be murderers. Send your best scavenger and you'll have more room to carry supplies. Send your best trader/negotiator and they may be able to strike a deal. But if any of these characters are sick, wounded, tired, or feeling blue, they'll have a tougher go of it. Worse still, you're not exactly living in a fortress. There's a risk each night of looters coming to take what little you have. Some players will choose to use precious lumber to board up holes, others will craft knives and shovels, putting one or more characters on guard duty during the night. Others still will be forced to let everyone sleep, if exhaustion and illness are setting in, and you can't have your wounded staying up all night, guarding... they'll never heal. These raids can range from desperate scavengers that will flee from a single guard, to well-armed bandits that will wound or kill anyone in their way.

(では、誰が行くべきか?もっとも足の速い者を送れば、「殺したがり」から逃れやすくなるだろう。もっとも物漁りが得意な者を送れば、より多くの物資を持ち運べる。もっとも交渉や交易を得意とする者を送れば、取引を仕掛けることができる。だがこれらのキャラが病気だったり、傷を負っていたり、疲れていたり、精神的に参っていれば、成功率は下がる。

 さらに、プレイヤーが住む家も安全ではない。毎晩強盗どもがプレイヤーたちの持つわずかな物資を奪いに来る可能性があるのだ。プレイヤーは大切な木材を穴を塞いだり、ナイフやシャベルなどの武器を造ったりすることに使うことを選ぶこともあるだろう。そして夜の番を立てるのだ。だが時には疲労や病のせいで全員を眠らせなければならない。傷を負った者に徹夜で見張り番をさせることもできない。眠らなければ傷が癒えないからだ。強盗はたった一人の見張りで追い払えるような食い詰めた一般市民から、誰彼構わず傷つけ殺す武装した野盗まで様々だ。)

 

You'll have to survive for a long time, upwards of forty days. And it's no easy task. Each playthrough will give you different survivors, different weather patterns, and different challenges when scavenging. It's fun and highly replayable, but the subject matter is heavy enough that you won't likely spend more than a dozen hours with this title.

(プレイヤーは最長で40日まで生き延びなければならない。それは決して簡単なことではない。プレイのたびに異なる生存者、異なる天候、そして物を漁る時の困難が与えられる。プレイは楽しくリプレイ性もあるが、ゲームに込められたメッセージは、プレイヤーを1ダース時間以上このゲームを続けることをためらわせるほどに重い。)

 

This War of Mine is a macabre juggling game, and just when you think you've found your rhythm the weather or a sniper hits you like a greased up chainsaw. You will never find yourself thriving, just scraping by. And when supplies are low and days turn to weeks, you'll have to make some tough choices. The opening scenario I described is one that can happen in your game. You may decide to help neighbors initially, sending a survivor off to board up a woman's home while her husband is away, feeding an isolated artist, or helping the victim of a sniper attack. But your heart will turn to stone in time as living becomes a prolonged struggle. That old couple? They're no longer off limits. The hospital? They're wounded, dying – my people need this more than they do. And that is what This War of Mine does most effectively. It shows you the cost of war – body, mind, and soul. I've read plenty of great anti-war novels, seen plenty of great anti-war films. This War of Mine joins Spec Ops: The Line in a growing, prestigious genre of anti-war games. It speaks for the most silent, unrepresented victims of war unflinchingly, sincerely. It reveals the cost of war, not with the over-the-top set pieces and faceless macho protagonists, but with quiet moments.

This War of Mineは恐るべき曲芸的なゲームだ。慣れたと思った頃に天候の変化や狙撃が油を差したチェーンソーのようにプレイヤーを襲う。プレイヤーが富を得ることもない。ただただかろうじて生き延びることができるのみだ。そして物資が少なくなり日が落ちるとき、プレイヤーは辛い選択を迫られる。

 冒頭に私が書いたシナリオは、実際のプレイで起こりうることだ。プレイヤーは隣人を守るために、彼女の夫が家を空けている間に人を送って穴を塞ぐこともできるし、孤立した芸術家を養うことも、狙撃の被害者を救うこともできる。だが、生きることがあまりにも長い苦闘へと変わったとき、プレイヤーの心は石と化してしまう。老夫婦だって?彼らはもはや守るに値しない。病院へ?彼らはすでに傷つき死にかけている。私の仲間は彼らよりも物資を必要としているんだ――

 そう、これこそThis War of Mineがもっともうまくやったところだ。このゲームは戦争というもののコストが何であるかということ……それは、肉体、精神、そして魂であるということを明らかにする。私はこれまでたくさんの偉大な反戦小説を読み、反戦映画を観てきた。このゲームはSpec Ops: The Lineに次ぎ、反戦ゲームの殿堂入りを果たすゲームだ。このゲームは戦争の被害者の中でもっとも声の小さく、光の当たらない者たちについて、ひるまず、真摯に語っている。このゲームは戦争の代償について、都合の良いお仕着せの表現や個性のないマッチョな悪役たちによってではなく、ただ静かなひとときによって明らかにする。

 

 

Near the end of my first playthrough, day 25, I had two survivors left from our original four. One had fled in the night; the other succumbed to a lethal injury. One survivor was utterly broken, rocking upstairs, muttering to himself. I sent my other depressed, ill survivor to comfort him, to rouse him from his depressed state. She sat and comforted him for an hour, and it gave him a little hope. But I knew it was all for not. They were going to die, inevitably. We had no food. We had no medicine. So why? Why bother comforting him? Why not reset the game? I couldn't. I couldn't leave their story unfinished, untold. They both slept in beds that night, and both passed in the morning. The night had been calm, perhaps the calmest night since day one.

 (私の初めてのプレイの最後の日……25日目、生存者は元々の4人から生き残った2人だけだった。一人はある晩に逃げ、一人は傷に倒れたのだ。残った片方の生存者はもう完全に壊れてしまい、上階で震え、ぶつぶつ独り言をつぶやいていた。私はもう一人の、既に絶望し、病を患っている生存者を彼の下に送り、彼を慰めて、彼の精神状態を和らげさせた。彼女は彼のそばに座り、一時間の間彼を元気付けて、彼にわずかな希望を与えた。

 だが、私はそのすべてが無駄だと知っていた。彼らはもはや避けようもなく、死にゆく定めにあった。もはや食べ物も、薬もなかった。ならばなぜ?なぜ彼を元気付ける必要などあっただろう?なぜゲームをリセットしてしまわなかったのだろう?

 

 できなかった。私には、彼らの物語が終わるまで、そしてそれが語られるまで、そこから去ることができなかったのだ。

 

 二人はその夜、それぞれのベッドで眠り、二人とも朝に亡くなった。穏やかな夜だった。おそらくはこれまでで、もっとも穏やかな夜だった。)

*1:ハラスメントは国によっては明確に階級が知れるわいな

2014/11/17 若者に勧めることはない

あー。


Yahoo!ニュース - 椎名林檎、単独インタビュー 「いつも死を意識」「子ども5、6人産む」 5年半ぶり新作 (withnews)

 

※以下、ただの個人の見解。

 たぶんこの人は死ぬまで「男」を怨み続けて「女」のために歌い続けるのだろうなあ……(カギカッコ超重要)

 時代の変遷に従って多くの人が支えきれなくなった二色のジェンダーを持ち上げ続けられるだけの実力を持ってるから。

 

 シンプルに生きること、自分が幸福であること、はとても大事なんだが、表を歩く上で服を着ることが欠かせないように、なんらかのイデオロギーを背負うことも欠かすことができない。

 最近感じるもやもや感は、「そこ結論かよ」の一言に尽きる。そんな単純な二項対立に戻ってくるような強度の歌謡じゃなかった“はずだ”。むしろ敢えて典型を取り上げることでそれを破壊することを目的とした命がけのメタゲーム、それが『自作自演屋』という自称に込められたテーマだった“はずだ”。

 だがそれがそうではないことは、『本能』の時点でももう既に明言されていた。それは実際には、何度でも何度でも打ち付けられる女性性という鎚だった。椎名林檎の“アナーキズム”とは、価値観の破壊ではなく、極めて真っ当な女子力行使による戦争行為であり続けてきた。

 


「美しさ」とはなにか|ワイングラスのむこう側|林伸次|cakes(ケイクス)

 

 アウラ、もしくは「美しさ」という概念は、生命に紐付かないからこそ、広く人の心を打つのであって、その感動を受け止めきれずに生活に結びつけてしまうと、それは魔力を喪ってしまう。

 それがアーティストの持つ作品の強度と、その代償に迎える避けることのできない断絶の正体だ。

 そして彼女が抱えるその業は、多分今の若者が背負ってはいけないタイプのものだと思っている。

 だからいつまでも好きだろうけど、人には勧めることはいつまでもないだろう。

 せめて体よく回収されませんように……。

2014/11/16 調和させたいだけ

艦これ始めて1年以上経った。

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 艦これというゲームはソーシャル要素を外注するという形でソーシャルゲームとして成立している。


モンハンとパズドラに言いたいことを読んで。近年のゲームデザイン - ぐ~たらオタクの似非考察日記

 ゲーム攻略といえばWikiの時代、艦これはゲームそのものよりも、Wikiの方にゲーム性を立脚した。情報を集め、研究し、検討し、議論するという集合知の醸成の過程をゲームプレイの核に置いた。

 

 去年の夏コミあたりの時期から始めたけど、ストーリーがなければ戦略性もない、見た目もサイトバナーが殴り合ってるだけのゲームをなんだかんだやってられるのは、あらかじめプレイングが艦これ内部に限定されないように作られているためだろう。

 第一、ここまで生活を邪魔しないゲームもない。やることは定時ごとに遠征を出し直して兵站を整え、特定のステージを回してレベルを上げるだけ。自分はイベントが始まっても情報が出揃ってから出撃するので、クリアに必要な艦種を揃えたら、あとはひたすら試行回数を重ねていくだけ。ぶっちゃけ画面見てなくてもいいのでほとんど見てない。

 それでも続けるのは、基本的には艦娘がどのようなパーティを組んでどのような冒険をしたかという脳内であらかじめ組みあがったプロットへの「味付け」、例えば思わぬところで大破して撤退を余儀なくされたとか、普段目立たない艦娘が正念場で決めただとかいった事件性が欲しいからだ。最近はイベントで多数の艦娘の動員が必要になる連合艦隊の導入により、艦隊運営にある程度の方向性を持たせることが必要になってきたが、基本的には一回構築した(構築方法は一から十までWikiに書いてある)ルーチンを繰り返せばまずクリアできるので、個人のスキルが入り込む余地がない代わりに、詰みはほとんどない。

 

 現在のようにWikiに情報やサンプルが完全に出揃うまでの去年夏あたりは、逆に必勝パターンが見えないので試行してサンプル採取に努めるしかなく、プレイ中は無事を祈り続け、プレイ外では有効な戦略を話し合うという経験の繰り返しが、艦娘への思い入れを深め、自然とプレイヤーの間で物語が組み上げられていった。

 

↓おすすめ


艦これ - 「艦娘歳を取らない説」/「ビリー」の漫画 [pixiv]

 


艦隊これくしょん - 「かんこれまとめ6」/「deco」の漫画 [pixiv]

 

 だから、艦これを長くやっているプレイヤーのほとんどは、それぞれの艦隊の行く末が気になるからこそ、細々とプレイし続けているのだろう。

 これは実際、フリーシナリオシステムを持つサガシリーズや、The Elder Scrollsシリーズのような箱庭型RPGのプレイ感とほとんど一緒だ。

 艦これというゲーム自体は、TRPGのルールブックやTCGのスターターキットのように、世界観を匂わせるデザインを提示すると共に、最低限の取扱説明書を付けたツールボックスのようなもので、そこにどんな鎮守府を描けるかは各々にかかっている。

 接待やパチンコのようなゲームが多数を占める中で、上手いこと脇腹を刺した今らしいゲームだなと思う。一方通行の社会の中で、縛られた社会性を開放し、倫理や法を構築する高度な知性を駆動させられる場所としてのゲームという仮想の新天地。

 

 ……しかし流石にシンプルすぎて存在感がなくなりそうなぐらい薄くなってる今日この頃。もうちょいテコ入れ欲しい。